ルーレット2


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男の迫力に押されるようにして座席に座る。ふと隣を見ると若い女が目を覚ましていた。今の怒声で起きたのだろう。不安そうに僕を見て、それから男のほうを見た。やはり事態が飲み込めないらしい、今度は車内をゆっくりと見渡す。と、
「はーい、みんな起きたみたいですね」
ついさっきの癇癪がウソだったかのような明るい声で、男が口を開いた。振り返ると、一番後ろの座席の男と白い服の女も、いつの間にか起きている。隣の女と同じように、怒声で目覚めたに違いない。
「じゃあこの状況を説明しまーす」
その口調とは裏腹に、男は無表情だ。他の乗客も皆、男に注目している。
「えー、まず最初に」
男は左手に持っていた銃を静かに、だが素早く窓に向け、何のためらいも無く引き金を引いた。瞬間、車内は黄色い光で溢れ、ほぼ同時に爆音が響く。かすかにガラスが砕け散る音が聞こえた。僕は思わず声を上げた。誰かの高い悲鳴も聞こえる。
気が付くと、僕の席から見て右、奥から二番目の窓が割れていて、あたりにはガラス片が散らばっていた。割れた部分から雨が入ってくる。男が銃を高く挙げ、見せつけるようにブラブラと振る。
「この銃は本物ですよー。変な真似をしたらすぐに撃ちたいと思いまーす」
誰も何も言わない。皆、衝撃で固まってしまっている。頭の中で青紫の残像がチカチカした。爆音。窓。光。男。悲鳴。雨。窓。考えがまとまらない。雨が車内に吹き込んでいることが、やたらと気になった。
「えーっと、そして、見て分かるように、このバスは今、バスジャックされてまーす。バスジャック犯は、僕でーす。運転手さんは言うことを聞いてくれなかったので、一足先に降りてもらいましたー」
男は「降りてもらった」と言った。嫌な想像が浮かぶ。身震いがした。男の奥、運転席のあたりをそっと覗いてみるが、血痕らしきものは見当たらないようだ。少しだけほっとするが動悸は治まらない。たまたま血の跡が見えないだけで、想像の通りの事があったのかもしれないのだから。
「それでー、今回のバスジャックの目的ですがー、特に何もありませーん。ただスリルが欲しかっただけでーす。だからこんな人気の無い場所に停まってまーす。民家も近くには無いので、銃をバンバン撃っても人が来る事はまずありませーん。あ、携帯ももちろん圏外ですよー。安心してこの緊張感を楽しんでくださいねー」
狂っている。糸かなにかで引っ張ったように、男の口の両端がぐいっと上がった。どうやら笑顔らしいが、その目は全く笑っていないことが余計にぞっとさせた。
「あー、それと、何か質問があるときは挙手で、俺が指名してから喋って下さーい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
中年の男が声を上げた。
「わしらはどうなる!?何も抵抗しないから…」
中年の男の動きが止まった。銃口が向けられたからだ。
「撃つよ?」
男は無表情のまま、口だけ動かした。人差し指は引き金にかかっている。
「挙手しろっつったよな? たった今。なあ? 聞いてますかー!?」
中年の男からは、ひゅう、ひゅう、という短い息が漏れるだけだ。
「…まあいいや、最初だから特別。はい質問の答え! …えー、あなた達がどうなるかは、分かりません。ていうか、もし俺の中で決めてても教えません。誰が生き残って誰が死ぬか、映画を観る前に知っちゃったらつまんないでしょ。ネタバレ厳禁ね。ネタバレ厳禁。これ常識。野暮な事聞かないでよおじさん」
ニヤリと笑って銃身の先で中年の男の頭をつつく。僕は一連のやり取りを、テレビドラマか何かを家で観ているかのように眺めていた。現実感が沸かない。
「…もう質問は無い?じゃあとりあえず、皆で自己紹介をしよう。登場人物のバックグラウンドを知ってるほうが、ドラマに深みが出るっしょ? 俺の名前は望月英雄。ヒーローとかの、英雄って書いてヒデオ。カッコいいよねえ。俺、この名前通りに警察官にまでなっちゃったよ。まあそれは拳銃が撃ってみたかっただけなんだけど。市民を守るはずの警察官がバスジャック、これってかなりドラマチックじゃない?あ、ちなみにこの銃は私物。リボルバーが欲しくてね。警察のやつは違うタイプだからさ」
何がドラマチックだ、と思った。望月はなおも喋り続けている。