ルーレット3


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望月が喋り出してもう五分は経っただろうか。今は好きな映画のタイトルを次々に挙げているが、聞いた事も無いタイトルばかりだ。緊張感は依然としてあるものの、車内にはうんざりした空気が流れ出していた。望月はそんな我々の事など意に介さず、気持ち良さそうに口を動かしている。
隣を見ると、女の子は黙って望月を見つめている。その表情はしっかりしたものだったが、唇が小さく震えているのが分かった。怯えているのだろう、声をかけてやりたかったが、下手に動いたら望月に何をされるか分からない。僕はただ横目で盗み見る事しか出来なかった。と、一つ後ろの席の白い服の女が気になった。だらりと窓にもたれかかったまま、無表情で前を見ているのだ。この女は怖くないのか?
「…こんなもんか。じゃあ次、おっさん」
望月の演説が終わったらしい。慌てて前を向く。望月がまた両替機に座った。
「わ、わしは村山だ。え、愛媛で会社員をしとる」
「愛媛?」
望月が不思議そうに声を上げた。
「じゃあなんで東京にいるんだよ」
「む、息子が東京にいて、その家に向かっているところだった」
「へえー、そうなの。よりによってこのバスに乗るなんて、おっさん、運が悪いな」
他人事のように言う。
「頼む、助けてくれ、命だけは」
「じゃあ次、お前」
村山の捻り出すような命乞いを完全に無視して、望月が銃口で僕を指した。声が震えないように注意を払いながら口を開く。
「…加藤だ。数学教師をしている」
嘘ではないが本当であるとも言えなかった。もうすぐ「数学教師をしていた」になるかもしれなかったのだ。僕は教育というものに何の情熱も持たないまま、ただ安定を得るためだけに教師になった。そして現場に入って目の当たりにしたのは、大量の雑務、言う事を聞かない生徒、責任を全て学校と担任の教師に押し付ける親。締め付けてくるあまりにもたくさんの事柄にほとほと嫌気がさし、学校の帰りにふらりといつもと違う路線のバスに乗り込んだのだった。もう家には帰らないつもりだった。普段通りに帰宅していれば、こんな事件に巻き込まれる事も無かったのに。アンラッキーとしか言いようが無い。
次に望月は隣の女の子を指名した。
「あ、青目です。…大学生です」
「下の名前は?」
ニヤニヤしながら尋ねる。
「…加奈子」
「加奈子ちゃんか。いくつ?」
「…十九」
「若いねえ。それに顔も可愛いし胸もでかい。モテるでしょ」
青目は眉をひそめ、顔中に嫌悪感を滲ませた。しかし僕はそれよりも青目という名字が気になった。どこかで聞いたような…。割と珍しい名字なので忘れるとは考えにくい。気のせいだろうか。望月は何も言わない青目を、しばらくじっとりと眺め回していたが、やがて白い服の女を指名した。
「次、お前」
「瀬戸留美。主婦」
その口調が、まるで行きつけのレストランに予約をするかのような、リラックスした喋り方だったので、僕は驚いた。
「なんでこのバスに乗ったの?夕食の買い物?」
「山の中に埋めた夫を掘り返しに」
瀬戸はそう言うとクスクス笑った。他の乗客も、望月すらも固まっている。
「冗談よ」
笑いながらそう付け加えてまた笑う。望月も笑い出した。
「いいね。あんたとは友達になれそうだ」
二人で笑い合う。全くついていけない。
「じゃあ最後、お前」
最後尾の席に座っている男がびくんと跳ねた。体中が震えているのが一目で分かる。
「…あ…橋…で…」
蚊の鳴くような声で呟くが、恐怖で歯の根が合ってないこともあり、ほとんど聞こえない。
「なに?聞こえない。もっとデカい声で話せよ」
「…橋…で…」
望月が不機嫌な顔になったせいで、男はさらに萎縮してしまう。
「聞こえねえんだよ!おい!」
「あ…あ…」
男は半泣きで望月を見つめている。
「んー…もういいやお前、バイバイ」
望月にとっては、窓を撃つのも人間を撃つのも変わらないようだった。つまり、さっき窓を撃った時と同じように、無表情で静かに銃口を向けると躊躇なく引き金を引いたのだ。その一連の動作はひどくゆっくりに思えたが、実際は一秒にも満たなかっただろう。僕はただ見ている事しか出来なかった。爆音と黄色い光がまた車内に溢れた。


男は生きていた。銃弾は男の眉間ではなく、そのすぐ横、座席のクッションに穴を空けただけのようだった。
「あれー?頭を狙ったのに。ラッキーだな、兄ちゃん」
楽しそうに笑った。僕はその笑顔を見て心の底から寒気を覚えた。この男は本当に人を殺す。人を殺す事が出来る。自分の快楽のために。そんな人間がいるということが想像できなかった。目の前の男は本当に人間なのかという疑問すら浮かんだ。
「最後のチャンス」
望月が銃口を向けたまま言う。
「名前は?」
男は目を銃口に釘付けにしたままかろうじて答えた。
「たたた高橋、高橋です」
「仕事は?」
「しし小説家…、いいいや、フフリーターです」
「どっち?小説家?」
「し、小説家、志望です」
へえ、と望月は大げさに驚く。
「ならこの事件を小説にするといいよ。事実は小説より奇なり、だろ?もし生き残れたらだけど、あんたラッキーだから生き残れるかもよ」
「そ、そうします…」
高橋が引きつった笑いを浮かべた。
「じゃあこれで自己紹介も終わり!皆さんよろしくお願いします!楽しい夜にしましょう!…と、言いたいところなんだけど」
望月が、困ったような素振りをする。芝居がかった大げさな動きだ。
「実はこの後なにをするか、何も決めてなかったんだよね。なんか提案ある?」+