ルーレット6


目次


「運が良いんだか悪いんだか分かりませんね」
青目が苦笑いしながらこちらを見る。
「全くだね。ただ、酷い目にあったってことだけは確かだよ」
夜明けを待ってから外に出るという話でまとまり、皆それまでは休むことになった。村山は席を後ろに移動してすぐに寝息を立て始め、瀬戸もそれからしばらくして目を閉じた。高橋はどこか遠くを見つめて何かをブツブツ呟いている。恐怖を紛らわすための呪文だろうか。僕は悪夢を見てしまいそうだったので眠る気にもなれず、この数時間思考の外に追いやられていた、閉塞した現実のことを考えていた。同じように眠れないのであろう青目が話しかけてきたのは、そんな時だった。
「日本でバスジャックに遭遇する確率ってどれくらいなんでしょうね」
「かなり低い気がするけど、でもこんな話もある」
大学時代に聞いた話を思い出す。青目は興味深そうにこちらを見た。
「ある学校に30人のクラスがある。そのクラスに同じ誕生日の人間がいる確率は何%か。分かる?」
「え? えっと…、ちょっと待って下さい」
左上を見ながら、青目は頭の中で計算し始める。右手の人差し指がピクピクと動く様が可愛らしい。
「365分の1? あんまり自信は無いですけど」
どういう計算をしてそうなったのか大体想像がついた。この子はあまり数学が得意ではないのだろうと思った。
「約0.3%か。残念だけどハズレ。正解は、なんと50%を超えるんだ」
「え! そんなに高い確率なんですか?」
「もっと確率は低いと思っただろう? だけど計算してみるとそうなるんだ。君だってこれまで一回ぐらいは、同じ誕生日同士のクラスメイトを見たことがあるんじゃないか?」
「確かに…何回か」
小さくうなずく青目。
「さらに40人のクラスだと、確率は90%近くにまで上がる。これは人と人の組み合わせの数がどんどん増えていくからなんだけど」
青目は真剣に聞いているが、理解は出来ていないようだった。説明はしてもあまり意味がないだろう。
「とにかく、確率ってやつは時に、感覚を大きく裏切ることがあるってことさ。バスジャックに遭遇する確率も、案外高かったりするのかもしれないよ」
青目はしきりに感心している。実際には、バスジャックされるバスに乗り合わせる確率なんて交通事故に遭う確率と同じ位だろうが、こんなウソで気が紛れるのなら安いものだ。
「さすが数学教師ですね」
「こんなものはただの雑学だよ」
「私、数学とかはいくら真面目に聞いても理解出来ないんですよ」
「理解してくれようとしてくれるならまだ良いよ。話を聞こうともしないやつが沢山いてさ」
「前から本音を聞いてみたかったんですけど、先生って、自分の受け持つ生徒の名前、全部覚えてるんですか?」
話が飛ぶ。学校の生徒と話しているような気になった。
「そりゃあさすがに無理だよ。覚えきれない。名簿を盗み見てごまかすんだ。個性的な生徒とかは覚えられるけどね。よく喋るやつとか、反抗的なやつとか」
「いじめられっことか?」
「…まあ、いじめられてる現場を見れば、ずっと忘れないだろうね。後は…君みたいな珍しい名字とかだと覚えやすい」
何故か青目が驚いた顔をする。
「青目って珍しいですよね。私も、家族と親戚以外で見たことない。昔、どこかの外国の人と駆け落ちした私のご先祖様が、名字を決める時に青目って付けたらしいですよ。その外国の人が青い目だったから、青目」
「へえ、じゃあ君にもどこかの国の血が混じってるんだ」
「そうです。8分の1か16分の1ぐらい。そんなの、もうほとんど日本人ですけどね」
どうでもいい話題ばかりだったが、今はこのどうでもよさが心地よかった。緊張の糸が切れたのか、しばらく話しているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。




………何か音が鳴っている。甲高い音だ。脳の奥底まで沈みこんでいた意識が少しずつ浮かび上がってきた。カンカンカンカン。どうやら金属音のようだ。誰かが叫んでいる声も聞こえる。…瞼が重い。やっとのことで薄く目を開いた。
「起きてー起きてー起きてー起きてー起きてー」
数時間前まで望月が立っていた場所に、今度は瀬戸が立っている。そして瀬戸は望月が持っていた銃で両替機を叩き、耳障りな金属音を立てながら声を上げていた。