おいしい牛乳うまい。

我が輩は猫であった。名前はもうにゃい。
子供の手をはにゃれた風船のように生きているのである。
生きた爪痕をなるべく残さにゃいように、気を付けて肉球で歩いているのである。
目標や生き甲斐や意味にゃど持たぬよう、常々注意を払っているのである。
そもそもこの文章の出だしや、にゃんにゃん口調にゃどにもにゃんの意味もにゃいのである。
にゃにゃーん!
今のも無意味である。
そもそも我が輩は人間である。名前もまだある。