深緑の森の青緑の湖


その森は朝日が昇ってもまだ暗く、昼頃を過ぎてようやく森全体が濃い深緑の光に包まれるほど木々が茂る森でした。その時はわずかに森が明るくなっていましたから、お昼前頃だったのでしょう。
森には湖がありました。木々と空を映して青緑色のその水面はたった一つの波すら無く、まるで巨大なエメラルドが横たわっているようでした。
湖からは獣道が2つ伸びています。その内の1つは周りを覆っている樹木が光を遮り、暗い森の中でもまるで洞窟のように一際な闇を作り出すのでした。
洞窟の奥からうわあんという声が聞こえました。その声は獣の声が水晶を含んだ洞窟の壁に反響して生まれた音のように甲高く、どのような獣がどのような気持ちで鳴いた声なのかを読み取ることは出来ません。2度、3度。またうわあんという声が、今度は続けざまに聞こえました。その声は老熊の泣き声のようにも、2匹の兄弟リスがじゃれ合っている声のようにも思えました。それきり、もう二度と声が聞こえることはありませんでした。
と、洞窟とは湖を挟んで反対側から2匹の野ネズミが飛び出してきました。体の小さい方の1匹は一目散に湖のほとりに駆け寄り、体の大きい薄茶色の1匹は、辺りを見回しながら慎重に進んでいます。
「兄ちゃん!アスタ兄ちゃん!湖だよ!湖だ!!」
ダッカ!危ないぞ!山猫でもいたらどうするんだ!」
弟ネズミは兄の注意も耳に入らないようで、せわしなくクルクルと回りながら言います。
「凄いや!本当にあるんだねえ!僕こんな大きな宝石初めて見たよ!」
「バカ。湖は宝石なんかじゃないよ。湖ってのは水だ。水が溜まったものなんだ」
弟ネズミは納得がいかないようで、鼻をひくひくさせながら湖を眺めています。
「さあ帰ろう。ここらは家から大分遠いからね」
兄ネズミがくるりと振り返った時、弟ネズミは湖の水面に向かって駆け出していました。そして確かに、弟ネズミの脚は宝石の上を駆けるように水面を駆けることが出来たのです。
弟ネズミはますます興奮して水面を駆け回り、瞬く間に湖の中央に辿り着きました。
「アスタ兄ちゃん!ほら!やっぱり湖ってのは宝石のことじゃないか!」
兄ネズミは信じられないという表情で呆然としています。弟ネズミは楽しそうに跳ね回りました。4度目に跳ねた時、ちゃぽんと言う音と一緒に右足が水面に沈み込みました。そして次の瞬間、水面が生き物のようにうねったかと思うと湖全体が大きな口のように盛り上がり、弟ネズミを飲み込んでしまいました。波はしばらく経つと収まり、また元のエメラルドのような水面に戻りました。
兄ネズミは日が暮れるまでそこにいて、やがてどこかへ去った後、二度と現れることはありませんでした。