短編

夏のニーソックス

夏休みに入って間もないある夏の日の朝、クルミは制服にニーソックスという出で立ちで駅にいた。野生のニーソックスを捕まえに行くためだ。この時期のニーソックスは脂もノっていて繊維も良く締まっている、まさに旬と言える高級品なのだ。 「よっ!」 何時…

明け方、雨の降る海について

絶対音感の鋭い人は、雨音が不協和音に聴こえて我慢ならなくなることがあるらしい。幸い僕は音感なんてものと縁が無いから、そんなことは体験したことがないわけだけど。何を言いたいのかというと、楽しく生きるためには出来るだけ、鈍感にならなきゃいけな…

エイプリルのフール。

「それマジ?」 「マジ」 「……へえええ、あの子がそんな趣味をねえ」 「ビックリだよな」 「ビックリだ」 「ビックリなんだけどさ、ウソなんだよね」 「ウソ? 何が?」 「今の話だよ」 「ウソなの?」 「うん」 「え、なんで?」 「いやだって、ほら」 Aが…

真夜中に誰もいない暗い橋を渡ることについて

きっと黄泉の国に通じているのだろう、と思えた。 真夜中。 街灯も無い、暗い橋。 辺りには誰もいない。車すら通らない。 私は一人、歩道をテクテクと歩道を歩いていたのだが、何も行儀良く歩道を歩く必要が無い、ということに思い当たり、静かに伸びる車道…

ローファー 踏みつけ 女子高生

遠くから野球部が練習する声が聞こえる。私は今、担任の福永を踏みつけている。誰もいなくなった放課後の教室で、女子高生の私が、四つん這いになった教師の背中を踏みつけている。ローファーも履いたまま。 しばらくグリグリと踏みつけていると、やがて福永…

回転椅子で眼がくるくる回る

座る。床を思い切り蹴り出すと、椅子はいとも容易くクルクルと回りだした。部屋の風景が真横にだらしなく延びて行く。さらに床を蹴る。さらにもう一度。蹴りだす度に回転の速度は増し、ついに視界には大小様々な帯がボーダー柄のように並ぶばかりになった。 …

無色透明ハーモニー

ぱちん、ぱちんぱちんと、頭の中で音がするのである。 物心ついた頃には既にこの音は鳴り始めていて、私は子供心に、この音が鳴り止んだ時が、私が死ぬ時なのだろうと確信していた。私の中の何かが弾けとび続け、私が成立出来ない程に疎になってしまった時、…

夜に闇虫

窓の外にはぽつりぽつりと街灯が立ち、その周囲だけが鈍く闇の中に浮かんでいる。私はオーディオで緩やかなジャズを流し、ソファに腰掛けたが、何だか自分の今の状況が酷く不幸な気がして堪らなくなり、すぐに音楽を止めた。 眼を閉じる。しばらく瞼の裏を眺…

矛盾の斥力

五年越しに会った彼は、思わず別人と見違えるほどやつれ、落ち着きを失っていた。テーブルにもつかない間にウェイターを呼びつけ、紅茶を、と告げる。 「一体どうしたんだ、その様子は」 椅子に座り、まるで痙攣しているかのように震える指を見つめる彼に声…

ペントリラクイズム

崇子はあまりにも美しかった。いや、正確に言えば、崇子はあまりにも美しすぎた。さらに精密に表現するのであれば、崇子の鼻の頭にある巨大なイボはあまりにも美しすぎた。 いわゆるオカルト用語で人面疽と呼ばれるものである。だが彼女の容姿は、眼や口がう…

エレクトロ・モルモット

2015年3月7日 13:53 印旛複雑情報工学研究所 第2研究室 いくら自らの記憶ディスクを検索してもこの場にふさわしい言葉が見つからなかったので、試作04号はあらかじめ設定されている、とりあえずやりすごせるような言葉で答えた。 「ソウデスネ」 相手の女性…

ファインディング自分

青。黄色、黄色、黄色、黄色、黄色、黄色。赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤。青、 信号灯は明滅を続けながら、規則的に色を変化させていく。人気の無い国道沿いには唐突にテーブルがあって、僕はそこで慣れないコーヒーを飲んでいる。 「何…

ファジー・スーサイド

「しめじの和風パスタとマッシュルームのホワイトソースグラタン、あとカルピス」 ウェイトレスにすらすらと注文する武井を、坂本は呆れ顔で見つめた。持ち合わせが無いという武井に、坂本がおごると言ってやった途端にこの調子だからだ。 「金が無い割には…

人類のテンポと調和

ドアノブが回る。 がちゃりと大きめの音をたててドアが開いた。廊下の光が部屋に差し込む。 湊は靴を脱ぎながら手探りで電灯のスイッチを探す。 ドアが閉まった。何も見えなくなる。 湊がようやくスイッチを探り当て、入れる。白い光で部屋が満たされた。 「…

ぼくはくま

ぼくはくま。 ぼくはくまだ。 何故くまなのかと尋ねられても答えようが無い。ぼくはくまだからだ。それ以上どう説明しろというのだ。それとも、例えば人間なら、あなたは何故人間なのかという質問の答えを持っているのだろうか。それにもし人間が答えを知っ…

雨男女

雨女はやはり雨女であった。 雨女が生まれたのは、50年に一度という大洪水が起こった日の明け方だった。雨女が産声を上げた瞬間、濁流が部屋中になだれ込み全てが飲み込まれていった。雨女は3日後、雨女の住居跡で発見された。両親の行方は結局分からず、生…

深緑の森の青緑の湖

その森は朝日が昇ってもまだ暗く、昼頃を過ぎてようやく森全体が濃い深緑の光に包まれるほど木々が茂る森でした。その時はわずかに森が明るくなっていましたから、お昼前頃だったのでしょう。 森には湖がありました。木々と空を映して青緑色のその水面はたっ…

なにをやったら死ねるかばかり考えていない。

「なあ君、誰かを好きになるということは綺麗なことでも素晴らしいことでもなくて、本当にどうしようもないことなんだよ」 そう呟きながら男は拳銃をもてあそぶ。 「なあ君、人間なんてものは本当にどうしようもないものだぜ。生命というもの自体がそもそも…

公園の中にある家の話

モニターに顔を埋めながらキーボードを叩いていると、涼しい風が入ってきた。僕は顔を上げて窓を見る。先ほどまで凪の状態であった池にさざ波が立ち、青緑の水面に映る雲が形を変える。 「シグレ」 廊下でなにやらゴソゴソやっているシグレを呼んだ。 「シグ…

溝口の話

目を覚ますと、電灯のヒモが目の前にあった。電灯に元々ぶら下がっている短いヒモに、ビニールヒモをくくり付けて長くしてある。眠ったまま掴めるように。 カーテンの隙間からは青白い光が漏れている。明け方のようだ。僕は布団から這い出し、ジーンズに脚を…

夢想生命論

僕はフワフワと当ても無くさまよい、交差点をこえ公園に入った。そこで若いカップルらしい男女を見つけた。僕は尋ねた。 「こんにちは」「あらこんにちは」 「あのう、ちょっと聞きたいんですが」「なにかしら?」 「僕は誰なんでしょう?」「まあ変な話ね」…

進化のほとり

「遅い。2分遅刻だ」 エジンタハラがトゲトゲした声で言った。いつもは30cmほどの浮遊が、今は2、3cmにまで下がっている。かなりいらついている証拠だ。彫りの深い顔に強い影が落ちている。 「そんなに怒るなよ。悪かった。ほら」 そう言って黄砂瓜を手渡す…

よるのロボット

よるのロボットが最初にみたのは、一面に広がる満天の星空でした。 遠くでトラックが走り去る音が聞こえました。 よるのロボットは、どうやら出荷される途中、何かの拍子でトラックから転げ落ちてしまったようでした。 製造番号SGG-09221-521137。これがよる…

ビスコ

人生が変わるような大きな決断をするのは、なにも重大な事件が起こったときや大切な選択を迫られたときだけではない。例えば今回、ビスコが決断したきっかけは、友人のカナが口に出したほんのささいな一言だった。 「ビスコは懐メロが好きなんだね」 教室で…

ネミングス

まだ言葉が発明されたばかりで、多くの物や気持ちや現象に名前が付いていなかった時代の話。 「君」 太った男が細身の男に対して声を掛ける。 「君!」再び太った男。慌てて振り向く細身の男。 「…あ!もしかして僕の事?」 「そりゃあそうだよ。だってここ…

冬のレストランに蟹

「大切なのは、このオシャレでおいしいカニのクリームパスタと、私が今から何時間後かにひねり出すウンチが、消化管で繋がってるってことね」 「は?」 およそレストランの雰囲気にそぐわない言葉。みどりは思わず間抜けな声を出す。 「これって世界の本質を…

夏のアーケードに雨

ほんの少し目を閉じていた間に、太陽が雲に隠れたらしい。樹木や雑草に覆われた共同墓地は薄暗くなり、やや湿り気を含んだ八月の風が吹き始めた。少し早い夕立が降るのかもしれないな、そう考えて彼女の方を見た。彼女も同じことを考えていたようだ。小さく…