人類のテンポと調和

 
 
 
 
 
 
 
 
 
ドアノブが回る。
がちゃりと大きめの音をたててドアが開いた。廊下の光が部屋に差し込む。
湊は靴を脱ぎながら手探りで電灯のスイッチを探す。
ドアが閉まった。何も見えなくなる。
湊がようやくスイッチを探り当て、入れる。白い光で部屋が満たされた。
「ただいま」
 おかえり。
ネクタイをゆるめ、鞄を放り投げる。
 遅かったね。
「うん、ちょうど帰ろうとした時にお客さんから電話が来てさ。参るよ」
 君はいつも間が悪い。
「うるさい」
ビニール袋から総菜のパックを取り出してレンジに入れる。
 今日のごはんは?
「メンチカツ」
 また?揚げ物ばっかりだな。君は。
「うるさい」
湊は部屋着に着替え、総菜をテーブルに並べる。テレビの電源を入れた。
「こいつ久しぶりに顔見たな」
メンチカツをほおばる。
 芸能界は流れが速いんだよ。
「その割にはいつも同じようなことばっかりやってる気がする」
 そんなのはテレビに限らないさ。人類の停滞と調和。
「それは進歩と調和だろう」
ポテトサラダを食べる。
 停滞と調和だよ。調和は停滞。秩序は衰退。進歩があるとすれば混沌だけ。
「そんなものかね」
 そんなものだよ。
大勢の芸人の笑い声が部屋に響く。
 そんなものだ。
笑い声。
 
「まだ火曜日なんだな」
服を脱ぎながら呟く。
「土曜日を休みにするんじゃなくて、水曜日を休みにすればいいのに」
 昨日は火曜日を休みにしろって言ってた。
「うるさい」
シャワーのノブをひねった。湊は冷たい水が顔に当たるのを楽しむ。
 風邪引くよ。
「別にいいよ。一度も引いた試しが無いからね」
さらにノブをひねる。水の勢いが増した。
「あーーーーーーーーーーー」
 うるさい。
 
 
 
頬杖をつきながらぼんやりとテレビを見ている。
渋いナレーション。
冷蔵庫の低い音。
スタジオの芸人達。
救急車がすぐ近くを通り過ぎた。
秒針が進む音が聞こえる。
誰かの足音。
冷蔵庫の低い音。
 
 
 
 寝るのならベッドで寝たまえよ。
はっと目を覚まし、湊はいつの間にかテーブルに突っ伏していた体を起こした。
「俺、どのくらい寝てた?」
 五分くらいじゃない?
「そうか」
今度は背もたれに寄りかかり、だらしなく口を開けて天井を見上げる。
テレビの音は聞こえない。
「あそこ」
 ん?
湊が天井の一角を指差す。
「なんであそこだけ剥がれてるんだろう」
指差した部分だけ、少しだが壁紙が剥がれて垂れていた。
 ほんとだ。
「あんなところ触ったことも無いのに。大体触りたくても届かない」
 なんでだろう。不思議だ。
「やっぱさ」
 うん?
「停滞と調和じゃなくて進歩と調和だと思うよ。人類は」
 そうかなあ。
「きっとそうだって。なんとなくだけど」
 なんで?
「知らない」
 …ふうん。
「寝るかな」
 寝るの?
「寝るよ」
 そうか。
湊はふらふらとベッドに潜り込む。
 
 
「居眠りしているときはあんなに眠いのに、ベッドに入ると何で眠くなくなるんだろう」
 本当は眠りたくないんじゃないの?
「いや、眠りたいね。俺は眠りたい!」
 そんなに力んでたら眠れるものも眠れなくなるって。
「だって眠れないんだよ」
 テレビを消すことだね。
テレビの電源を落とす。
「これで眠れるかな」
 眠れるよ。
「変な夢とか」
 見ても朝になれば忘れる。
「眠ろう」
 おやすみ。
「おやすみ」
明かりを消した。